滋味日日・・はなぱんだ の「いいこと ”お福わけ”」

"はなぱんだ”のパンダ・パンダ・パンダ

現代アート  石「経験の先へ」 Contemporary Art vol.36

f:id:a31017:20200204012916j:plain
現代アート 偶偶石vol.36「経験の先へ」
現代アート[偶偶石(たまたま石) vol.36]
題名「経験の先へ」5.9×4㎝


海岸に 転がっていたのは
何かを つまもうとする " 指の模様 " の石。
洗練されたラインに 驚いた。
造形的な構成に 驚いた。
驚いたのは、
心のどこかで
自然の造形は 武骨なものだと 思い込んでいたからか。
自分が歩いてきた道は 振り返れば 一本道。
” 自分の人生 ” という たった一つの道筋しか 歩いていない。
たかだか たった ひとすじの 経験しか していない。
目の前には どこまでも広がる大地。
次の一歩は どこにだって 踏み出せる。
” 経験 ” を ” 思い込み ” という 足かせにしてはいけない。
いつでも 経験を超えた その先へ

 
偶偶石(たまたま石
偶偶石(たまたま石)」は、作意も作為もない自然石の造形美が”無為の人の心に訴求する力”を借りて、鑑賞者が自らの美意識と感性を具現化して、深い余韻と思索をめぐらすことを体感するアートです。知識という前提を鑑賞者に要求せず、鑑賞者個人のオリジナリティーを引き出すことのみを目的とした現代アートです。作者の作意の理解を求めない自然石に対峙することで鑑賞者自ら感じたものは、鑑賞者オリジナルの感性であり、その存在に気付き深めてもらう現代アートです。第一フェーズでブログギャラリー展示「偶偶石(たまたま石)」し、次のフェーズには鑑賞者自らが自身の美意識・感性”適う石を探して(拾って)、展示(各人のネットにあげるなど)して”各人がみな「鑑賞者→実行者」となって表現と鑑賞を楽しむ広がりを願う現代アートです。
 探し出した石は、描いたり、削ったり、磨いたりせずに、拾ったままの状態であることだけが条件・ルールです。
 その石が、何億年・何千万年の歳月をかけて、現在、この形と模様に至って存在しているのはたまたまのこと。
 地球の表面は、ほぼほぼ岩石でおおわれていて、その中から、あなたが地球のカケラ、その一つの石を見つけ出したのはたまたまのこと。
 ”たま”は”魂(たましい)”、あなたの魂あなたの美意識と感性は、あなたをあなたたらしめているあなたの魂”。
 お互いの石を鑑賞して、多様な美意識と感性に触れたならば、それはとても豊かな共感と発見の体験となるでしょう。
 

 私の偶偶石(たまたま石)は糸魚川市の海岸で自らが拾った石。
 石を拾って、海水を落とすために水洗いだけしたもの。描いていません。磨いても削っていません。無加工の天然石です。
 自然の”たまたま”が、何千万年の間に、何層にも交わって作り上げられた造形の結晶です。
 ただの「石ころ」、幼子の「石拾い」は尊くクリエイティブ
 現代アート(Contemporary Art)であり、コンセプチュアルアート(Conceptual Art)であり、抽象造形・抽象絵画(Abstract art, Abstract modeling)。
 地球の内部に秘められた数千度の熱は、ひと時も形態を留めることなくよじれとぐろを巻きながら脱出を試みる。その圧が均衡を崩す時、地球の割れ目からあふれ出し、熱を放ち、盛上り、せり上がり、崩れ、転がり、やがて静かに海岸にたたずむ。そんな情熱的な彫刻(Sculpture)・オブジェ(Objet)。
 地球の数千万年を、たったひと塊に凝縮したミニマルアート(Minimal Art)。
作者/tamatama7373