滋味日日・・はなぱんだ の「いいこと ”お福わけ”」

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「胡蝶の夢」偶偶絵石vol.29

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胡蝶の夢」偶偶絵石vol.29

 ”拾った石そのまま(無加工)”

 あるとき、夢の中で胡蝶になり、胡蝶になった身を楽しみます。
 すると、夢から覚めたとき、ふと、ある思いをいだきます。
 ・・・胡蝶であったことが夢なのか。
 それとも、今、自分が人間であることが、胡蝶の夢のなかの出来事なのか・・・


 中国の春秋戦国時代、今から2300年前頃に記された荘子の有名な話「胡蝶の夢」です。
 私たちは、疑うことなくあたりまえの日常を過ごしています。けれども、はたして、そのあたりまえは、本当にあたりまえなのだろうか。
 胡蝶の夢は、あたりまえのことと思って疑うことさえしない私たちの固定化したあたりまえ」の感覚と発想を、やんわり揺るがせてみせるのです。


 この石は流紋岩の自然石。地中から何度も上昇してきた熱水に含まれていた鉄分が石に茶色い紋様を作り出しました。触覚部分は、石の亀裂に熱水が染み込んだもの。


【偶偶絵石・・小さな石の”無爲而無不爲”】
 新潟県糸魚川市田海川河口付近の海岸で拾い集めた”紋様石”。
 水洗いだけで描いても、削っても、磨いてもいない自然石です。
 2300年前の老子の言葉「無爲而無不爲」(為(な)す無くしてしかも為さざる無し)・・「何もしない。けれども、なされていないことは何もない」。138億年前のビッグバンで宇宙が始まり、放たれた物質が離散集合を繰り返して46億年前に地球が生まれ、地中でうねるマグマは今も大地を揺るがし続けています。つまり、目の前に広がる大きな海や、背後にそびえる高い山、そして私が拾い上げた小さな石も、ただそのままで ”宇宙の道理(物理的道理、科学的道理)内包具現しているもの” ということにおいてすべて ”同じもの” なのです。
 自然そのままの姿というのは、すべて、”自ずから、然り”=”道理のままにあるのみ”。
 私たちが、自然そのままの景色、大海原や、高峰の雄大な頂、山並みから開けた平野に至る広々とした景観を見るとき、言いようのないおおらかな心地に浸ります。それは、これらの姿かたちが長く久しい宇宙の営みで形成された壮大な造形であることへの畏怖と驚きと感動が、日常生活の中で卑近に埋没しがちな私たちの感覚を、宇宙の悠久な時間軸に一瞬戻して解放してくれるからではないかと感じています。
 ”為す無くして為さざる無し” 138億年前のビッグバンから今日にいたる道のりを内包して具現している ”手のひらの小石の拾ったままの姿”に、自然の道理と偶然(偶偶、たまたま)が交錯する深みとおもしろさを感じて「偶偶絵石」と名付けています。    tamatama7373