現代アート[偶偶石(たまたま石) vol.15]
題名「好きの幅」1.6×2㎝
きれいでもなく
整ってもおらず
立派でもない。
けれども
秀でたものが 何一つないところからも
好きという感覚は 生まれてくる。
人間は 進化の過程で、
生存と繁殖を有利にするために
きれいなもの、整ったもの、立派なものが
良いものだと学び、意識下に刷り込まれてきた。
それなのに
取るに足らないこのような小石にも 心ひかれるのは
それだけじゃない人間の深さ
【偶偶石(たまたま石)】
「偶偶石(たまたま石)」は、自分の美意識・感性を、”それを表す石を探して(拾って)、展示(各人のネットにあげるなど)して”各人がみんなで表現して鑑賞しあおうというアートです。
探し出した石は、描いたり、削ったり、磨いたりせずに、拾ったままの状態であることだけが条件・ルールです。
その石が、何億年・何千万年の歳月をかけて、現在、この形と模様に至って存在しているのはたまたまのこと。
地球の表面は、ほぼほぼ岩石でおおわれていて、その中から、あなたが地球のカケラ、その一つの石を見つけ出したのはたまたまのこと。
”たま”は”魂(たましい)”、あなたの魂。あなたの美意識と感性は、あなたをあなたたらしめている”あなたの魂”。
お互いの石を鑑賞して、多様な美意識と感性に触れたならば、それはとても豊かな共感と発見の体験となるでしょう。
私の偶偶石(たまたま石)は糸魚川市の海岸で自らが拾った石。
石を拾って、海水を落とすために水洗いだけしたもの。描いていません。削っていません。無加工の天然石です。
自然の”たまたま”が、何千万年の間に、何層にも交わって作り上げられた造形の結晶です。
ただの「石ころ」、幼子の「石拾い」は尊くクリエイティブ。
現代アート(Contemporary Art)であり、コンセプチュアルアート(Conceptual Art)であり、抽象造形・抽象絵画(Abstract art, Abstract modeling)。
地球の内部に秘められた数千度の熱は、ひと時も形態を留めることなくよじれとぐろを巻きながら脱出を試みる。その圧が均衡を崩す時、地球の割れ目からあふれ出し、熱を放ち、盛上り、せり上がり、崩れ、転がり、やがて静かに海岸にたたずむ。そんな情熱的な彫刻(Sculpture)・オブジェ(Objet)。
地球の数千万年を、たったひと塊に凝縮したミニマルアート(Minimal Art)。
「偶偶石(たまたま石)」は、作意も作為もない造形美が無為の人の心に訴求する力を借りて、人が自らの美意識と感性を具現化して深い余韻と、思索を味わうアートです。
作者/tamatama7373